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小野田寛郎さんご逝去に思う靖国神社参拝の是非 [ニュースから思うこと]

小野田寛郎さんが亡くなられたというニュースが入ってきた。

小野田寛郎さんはフィリピンのルバング島で戦後も30年間任務を全うしてきたという軍人さんだ。

子供の頃は兵隊さんが恐かった。

小野田寛郎さんが日本に生きて帰還した姿をテレビで見て驚いた。

少しこわいイメージを持ったことを覚えている。

その小野田寛郎さんは帰還後まもなくブラジルに渡ったという。

あまりにも変わってしまった日本の姿に絶望したという話も聞いたことがあった。

自然塾を開いて子どもたちに生きることの意味を伝えることもしていたと記憶している。

戦後の日本はアメリカに占領され日本人としての魂を失ってしまったことは感じていたが、戦前の本当の日本人の姿を教えてくれる人がいなかった。

そのことに誰も口を開くことができない風土になっていたのだ。

戦後に生まれた私たちはそんな空気が漂う社会で育ったのだった。

日本人であることに誇りを持てない貧弱な日本人になってしまった。

戦争で亡くなった兵隊さんはみんな普通の民間人だった。

中国や朝鮮の人たち以外の大東亜共栄圏の国々の人達は日本の兵隊さんのことを悪くいう人は少ない。

それはなぜか。

日本の兵隊さんは普通の民間人だったからだと思う。

なぜ普通の民間人がそうやって戦いに行くことができたのか。

小野田寛郎さんの講演会の話を聞くと、その思いが伝わってくる。

何も知らなかった自分は靖国神社に対して間違った考えを持っていたと思った。

今の日本が世界に類を見ない幸せな国になったのは、国を守りたいと願って全力で戦ってくれた兵隊さんがいたからだった。

亡くなられた何百万もの魂の願いが、今の日本の平和と繁栄を作ってくれたのだと思うようになった。

その魂達に対して感謝の心を持って靖国に参拝するのは悪いことではない。

国のトップの総理大臣が靖国に参拝に行かないのはおかしいと思う用になった。

大東亜戦争を日本の侵略戦争とのみ位置づけるのは間違っていると思う。

日本はあまりにも中途半端な国になってしまったような気がしてならない。

日本人がもう一度あの戦争のことを振り返って自らの意志で善悪の判断をしてゆかなければならない次期に来ているのではないだろうか。

あの時代は戦争でしか解決できないという時代だったのだと思う。

しかし、今もそうかというと、それは違うと思う。

今もし世界大戦になったとしたら地球は間違いなく滅びてしまうだろう。

それは広島、長崎に落とされた原子爆弾やチェルノブイリや福島の原発事故を振り返れば容易にわかるだろう。

もし戦争を決意してしまったら、日本が戦後の復興のような奇跡は二度と重ることなく地球は破滅してしまう。

靖国の問題はそういうことも踏まえて真剣に考えて行かなければならないだろうと思う。

不戦の誓いでもある憲法9条がなぜ生まれたかの意味を考えることも必要だと思う。

あの戦争のありのままの事実を受け入れて今後どう生きてゆくのか。

そのことに人類の未来の存亡がかかっているような気がしている。

そんなことを思いながら、小野田寛郎さんのご冥福をお祈りします。







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